昭和五十七年一月二十九日 朝の御理解
x御理解第八十九節 「此方の道は傘一本で開く事が出来る」
私共はこの八十九節の御教えというものが、まあ金光教の信心をさしてもらえば、傘一本で開く事がでけるといった様な、まあいと簡単に道がでけるぞと。しかし、どういう手段、どういう手立てをもってすればそんなにいと簡単に開く事がでけるか、これはもう疑問中の疑問でした。けれどもこうして私が色々神様からお知らせを頂く様になって初めてわかった事は、傘一本で開くという事は、心に安心を頂く、心に安心を感ずる。その信心で言う安心の心が一つあればどういう道でも開く事がでけるおかげになるという事が、ま、わかりましたわけですから、お互いがその、傘一本を求めて信心の稽古をしておるという事になるのです、ね。
一本の傘があれば、それこそどんなに、今にも降りそうにあっても慌てる事はありませんでしょう、ね。はあ、も、こりゃ降るなら濡れだんせんじゃろかと思うから、走り出しもしなきゃならんし、心も使わなきゃなりません、ね。という様に、その傘一本持っておるという事がどういう事かというと、いうなら、神様を信ずる、神様を信ずる事が事がでける、又合楽的に言うならば、例えよし、どういう事があっても、それは絶対神愛も現れだからという、ま、根本的な頂き方がね、でける様になるところから、心が安らぎ、それが安心ね、そして自分の心の状態というものが、こういう有難い心、喜びの心というものが段々こう育っていっておるこの喜びの心を育ててさえ行けば、この心そのものがあの世に行くのだから、ま、ね、肉体が滅びて心一つ、魂の世界に入って行くにしても、魂がこの世に、喜びに、ま、歓喜溢れると申しましょうかね、ね、この心が育って行く限り、こりゃ、あの世行も、これはそう慌てんでもいいぞとね。いうなら死生の安心です、ね。
この世で心一つで全てを創るというほどしのおかげを、こう頂いて行って、その心一つの動き方一つによってです、喜びがあり、安心がありという、そういう精進をしていっておるのですから、これはね、あの世でも魂がこの様に喜び続けて行く事であろうという事が、信じれれる様になる所から生まれてくるのが安心というのだとこう思うです、ね。いよいよそれこそ、健全な傘一本を頂かせて頂く為に信心の稽古をすると、お互いどういう時にそういう安心とか、そういうその、喜びの満ちた心というものが頂けるかというと、昨日、竹葉会でございましたから、ま、皆さんの、もう一人一人の発表を聞かしてもろうて、もう本当に素晴らしいと思いましたが、中にあの、嶋野悌子さんが発表しておりました。この頃から、この正月から姉妹何人もおります、その姉妹があっちこっちにおられます、それが月に一遍だけ集まって信心の共励をさせて頂こうという話を決めた。今月も皆が集まって共励させて頂いて大変、まあ、これからも続けようという事になってそれぞれが帰った。その晩の事である。智子さんは小倉に行っておる、ま、悌子さんの為にはすぐ妹なんですけれども、その妹婿の伊知地さんと言うですが電話がかかってきた。ほいで、「お姉さんわからん事が出来たけんお尋ねしたい」とこう言う。どんな事でしょうかと聞いたら、あのう、ね、そのう、智子が姉妹集まって共励会をして帰らせて頂いたらすぐ、その、智雄が熱を出して、その、ひきつけを起こしてもう、それこそ大慌てに慌てておるというのである、ね。本当に神様神様、信心信心、姉妹集まって信心の共励をした。帰って来たら子供がひきつけを起こす。これは大体どういうようなこっじゃろか、て言うて、まあ電話がかかって来たというのですね。ところが悌子さんは、心配いらんですよ、ち言うたち。「今、私はくの一会から帰ったばっかり。あんたが、ま、ちょっと早かけとるとか何かなら、私が電話を受けられなかったかもしれないけれども、今私はくの一会から帰ったばっかりのところで、もうそれこそ心を自由自在に使う稽古をさせて来たばっかりの所だから、もう心の中にゆとりがあった。心配いらんですよ、とおたげになりますよ」と言うて電話を切ったというお話をしてます、ね。
自分の心が神様に向かいに向かっておる時ね、そこに生まれて来るのが、そりゃあ、どうすんの、なら早、医者に見せじゃごてというような事じゃなくてね、心配いらんて、御神米御神米とこう言えれる心が、私は安心だと思うです。その安心の心がいよいよ育って行く事の為に、いよいよ神様を身近に頂いとかなければならんかという事がわかるでしょう、ね。うかつにしておる時に、ぽかっとやられたら、あらっ!こう思うでしょうけども、いわゆる、くの一会でいよいよいうなら、自由自在に自分の心を有難い方へ有難い方へと使う稽古をして帰ったばっかりの所だった。そういう素晴らしいタイミングの所にです、ね、しかも姉妹集まって信心共励をした、その後にそういう事が起こるというのだから心配はいらん、とこう言える、言い切れるわけね。
これはくの一会の会長であります伊藤さんの発表でしたが素晴らしい発表をなさいました。今、寒修行が合楽であっておりますが、私は他の事ならどげな事でん出来ると思うけれども朝起きだけがでけない。だから朝の五時の御祈念をずいぶん何回も思うてみたけれども、なかなか出来なかったけれども、この寒修行が始まって以来五時に起こして頂いて、朝の御祈念をさせて頂く様になったら、段々その、近所の方やら、くの一会の方たちが朝参りをして下さる様になった。いよいよ朝の御祈念が本格的になって来た。今までは起きてすぐ、御祈念前にお榊の水を替え、又、水たまに冷水のお供えをさしてもらうだけだったけども、こりゃあ、御祈念させて頂くのだから御祈念前に御神飯を炊かせて頂こうと思われた。もう思われた途端だった、屋鳴りがしたかと思ったら家がグラグラ~とした、と言うのです、ね。勿論それは地震だったそうです。ところが、その夕刊にその事が、そん震源地は西福岡だと書いてあったそうです。え~震度はどのくらい、けどもその震源地は西福岡、伊藤さんは西福岡ですからね。私はそれ聞きながら、もうまさしくそんなら、西福岡の、いうならば伊藤さんの所から、震源地だったと私はこう思う。
というのは、もう天地が感動まします。天地がもうそれこそ、グラグラするほどに、そのたった神様へ心を向けるという事はそういう事なんですよ、ね。折角、朝の五時の御祈念さして頂くなら、御祈念前に御神飯もお供えさせて頂こうと思った途端にその、いうなら家が屋鳴りしたかと思ったらグラグラ~ッと来たとこう言うのです。もう瞬間でしたと。これはここの御建築が始まる前に、正義先生が椛目の時代です。土地を購入の事のお届けをした時が、もう本当にあれはここだけじゃろか、という様なグラグラした事があったですねえ。もうその一言が神様が待ちに待っておったというか、神様の心にピシッ!とつながったというか、天地とこうつながった。え~
そういう信心の中に自分の信心も育って行く、又、昨日は、そのう初めてくの一会におかげを頂いて、信心もわかりませんのに色々お話を頂いて、十年間もう非常に仲が悪かった主人と、もう本当にもう、自分ながら、どうしてこんなに心が変わるだろうかと思う様に変わらしてもろうて仲良うなったという御礼参拝がありました。これはもう新婚旅行の時や、私を貰いに来てもらう時にね、お土産に持って来て頂いたお菓子を、昨日はだから求めさしてもろうて、ま、夫婦が仲良うなった御礼にと言うて、その何か有名なお菓子だそうですが、お菓子をお供えを持っておいでられました。
いわゆるくの一会で如何に生きた信心の稽古があっておるかという事。その方といい、又悌子さんがくの一会から今帰った、帰った時に自分の心が生き生きと、いうなら神様に向かっておった、ね、そういう私は心の状態を私は育てて行くという事が信心だと思うし、そういう時に自分の心の中に感ずる心こそが、傘一本というのじゃないかと思うです。この心がある限り、この傘一本がある限り、例えばどういう事があっても、ならどんな場合であっても、いうなら濡れんですむという安心、嶋野さんがやっぱり発表しておりました中に、昨日、お食事の時にそれこそ主人がね、悌子さんの顔をシゲシゲと見て「お前はこの頃えら~い幸福そうな顔しとんね」ち言うたち、ね。私はね、信心させてもらうなら本当に幸福そのもののようなこの顔がね、たくまずして自然にでける様なおかげを頂かにゃんいかんです。もううちの家内ばかりは、いつ見たっちゃブ-ッとしてからとかち言うごたる顔じゃ、いつもイライラ、モヤモヤしとると言った様な顔がね、主人に、又は、こいは誰でも同じこつ、お商売をするなら、お客さんにでもそういうです。もういつ見てもあちらの御主人なニコニコしてある、といった様なものが心の底からあるという事は素晴らしい事だと思うです、ね。どうしてそんな幸福そうな顔がしておれるかというと、今言う様に、間違いのない神様を、いよいよ頂いていっておるという事がです、そうした、いうならば幸福そうな顔になって来るのではないでしょうか、ね。そこに私はおかげを頂いて行くというだけではなくて、自分の心の、いわゆる安心の心というものを、いよいよこれは育てて行く。不安はない、心配はないというような心の状態がです、いわば幸福そうな顔にもなって来るわけです、ね。為には、いよいよ神様をですね、身近に感ずる。その、身近に感ずる為には伊藤さんじゃないですけれども、神様の心に、こう一直線にピ-ッとこう響く、ま、そんな事を考えて思うたんではいけません。なら、伊藤さんが御神飯ば御祈念前に、ただこう、ち、言うなはったら、そんなに神様が感動なさっなら、私もいっちょ今日からしようと言うたんじゃいかん。問題はその思いがね、ね、その思いが神様へ通じるのですから、私共も信心の稽古を本気でさせて頂いておりますとです、そういう心にピシッとこう響く様なね、様な状態というものが心にでけてくる、ね。そういう状態がいうなら、幸福そうな、いうならば顔でおれれる、ね。だから、その安心というものが、そして心の中に感じれてそれをいよいよ育てて行くという事がですね、いつも幸福そうにしておれれる心の状態、心がけそのものがね、いよいよ信心を、の傘というものを確固たるものにしていく、これを、もう育てて行く以外はない、という事にまあ結論する事がでけるのです。信心の、いうなら喜び、安心ね、これを育てて行く以外にはない。その為には、いよいよ自分の心を神様の心にね、通う様な思い方のできれる稽古を日頃しなければならないという事であります。「この方の道は傘一本で開ける」という傘とはそういう事ではないでしょうか、ね。どうぞ。